東京工業大学理工学部卒 弁護士・税理士
氏 名 杉原 英樹(すぎはら ひでき)
生年月日 昭和16年9月20日生
学歴
昭和32年 | 福井市立明道中学校卒業 |
昭和35年 | 福井県立藤島高等学校卒業 |
昭和39年 | 東京工業大学機械工学科卒業 |
職歴
昭和39年 | 三菱アルミニウム株式会社入社 |
昭和46年 | 公認会計士試験合格 |
昭和46年 | 東京大手町監査法人 |
昭和47年 | 昭和監査法人浜松事務所 経営コンサルタント会社を兼務し、中小企業の経営指導に従事 |
昭和47年 | 中小企業診断士認定試験合格 |
昭和49年 | 司法試験合格 |
昭和50年 | 司法修習(29期) |
昭和52年 | 福井市内において杉原法律事務所、公認会計士事務所を設立開業 |
平成 4年 | 福井弁護士会会長、日弁連理事 |
平成18年 | 杉原・きっかわ法律事務所に名称変更 |
資格登録
昭和52年 | 弁護士登録 |
昭和52年 | 公認会計士登録(現在は公認会計士業務を行っておりません) |
昭和53年 | 税理士登録 |
弊事務所は、昭和52年(1977年)に開設し、40年以上にわたり、地元福井の皆様に法的サービスを提供し続けてまいりました。
事務所を開設してまいりました杉原弁護士は、弁護士としては異色の経歴の持ち主であり、いわゆる高度成長期に理系の道に進み、東工大卒業後はシステムエンジニアとして社会に出ましたが、思うところあって、脱サラしての転身を決意し、本人曰く人生初めての猛勉強の末、公認会計士試験に合格しました。当時結婚して妻も子供もおり、頓挫していれば家族もろとも路頭に迷うことになっていたわけで、無謀な挑戦がとにもかくにも功を奏したことに今更ながら安堵する次第です。危うく実家の敷居をまたぐことも許されなくなるところでした。
しかし、晴れて脱サラに成功したかと思いきや、そう一筋縄ではいかないところが杉原らしさです。公認会計士試験合格後、会計士補として実務を積み、その間経営コンサルタント会社において、中小企業診断士の資格も取得し、中小企業の経営指導に従事するなどしてまいりましたが、次第に違和感を感じ、再度弁護士への転身を決意したのです。
子供ながらに、狭いアパートで父親が試験勉強する邪魔にならぬようにと、雨の日には車の中で絵本を読んでもらって過ごした記憶が残っております。かなり気まぐれな面はありますが、ここぞと決めたときの集中力には秀でたものがあり、幸いにも1年の必死の勉強の甲斐あって、ようやく弁護士として独立開業を果たすことができたわけです。
さて、そのとき私は7歳、脱サラした父に連れられ、両親の郷里福井に引っ越してきたわけで、以来父が弁護士として働く後ろ姿を見ながら大きくなりました。
当時はまだ今ほど弁護士という仕事も世間に知られておりませんでしたが、生き生きと、そして堂々と仕事をし、時には依頼者を叱咤している姿を子供心に憧れを持ってみておりました。事件が終わってからもずっと、畑でとれた大根を持って立ち寄ってくれる農家のおじさん、作りたての水ようかんをトレイごと持ってきたお菓子やさん、そんなお客様の姿を見て、「なんとすばらしい仕事なんだろう」と、口ごたえをしては罰金としてこづかいを取り上げられていた小生意気な少女は、密かに弁護士という仕事に憧れていったのでした。
さて、かかる少女が、3児の母の肝っ玉母さん弁護士になるまでの小話は、【吉川プロフィール 弁護士を志した動機編】にて